2022年08月31日
美しい日本の「歩きたくなるみち」500選・選定コース
美濃路は、東海道の宮宿(名古屋市熱田区)から中山道の垂井宿までの14里余りを結ぶ、2つの街道の脇街道です。
この街道は、徳川家康が関ヶ原の戦いに勝利した後凱旋した「吉例街道」として知られ、交通量の多い街道でした。
今も所々に残る美濃路の面影を探してみてはいかがでしょうか。
起渡船場石燈台
明和7年に建てられたこの石燈台には、文学者の龍公美の漢詩が刻まれている。口碑によると、夜渡船で難儀をした竹鼻出身の力士が、油代として田二反を併せて寄進したそうです。
一里塚(不破一色)
正木小学校の西門右側に一里塚跡の標柱がある。かつては径9m・高さ3mの土盛りがあったが、今は当時の面影はない。
間の宿
足近小学校の南にある古い門構えの家は、かつて美濃路の小休所として大変繁盛した。休息した諸侯の休息札も残っている。
西方寺
羽島市で最古の寺。もと太子堂であったが、後に天台宗、さらに13世紀の始め、住職西円が親鸞に教えを受け、浄土真宗に改めた。
式内阿遅加神社
式内社で、祭神は日本武尊。近世には八剣宮といい、足近十郷(足近輪中内の村々)の惣社。社地に雨石があり、雨乞いに参拝する人も多い。
坂井の道標と辻地蔵
堤防に上がった所に西方寺への道標が立ち、その脇に「右笠松 西方寺道」「すぐ墨俣 大垣道」と刻む小さな辻地蔵がある。
一里塚(東小熊)
堤防上の左手に大きなイチョウの木があり、標柱が立っている。
太神社と秋葉社
堤防上の右手に大きな紅葉の木があり、その下に太神宮と刻む石燈明と秋葉社がまつられている。
小熊川渡し
境川のこの辺りは小熊川と呼び、定渡船1艘に船頭が7人おり、大きな行列の通行には船橋がかけられた。
一乗寺
源平合戦の後、人の泣き叫ぶ声などが聞こえて人々は大変困っていた。そこで地蔵尊を祀り、供養したそうです。