2024年07月08日
7月7日、不二羽島文化センターで市制施行70周年記念式典を開催しました。
市内外からの来賓・招待者のほか、小・中学校の児童・生徒や保護者など、多くの市民の皆さんが出席されました。
- 【動画】市制施行70周年記念式典 ダイジェスト版(準備中)
市長式辞
本日は、羽島市制施行70周年記念式典を催行いたしましたところ、ご来賓並びにご招待者各位、特別功労者表彰の受賞者の方々をはじめ、児童生徒の皆さんや市民の皆様にもご臨席賜り、誠にありがとうございます。
羽島市は昭和29年4月1日、羽島郡南部の1町9村が合併し、岐阜県下9番目の市として誕生しました。
おおむね8,000人以上の住民を有する地方自治体設置を督励した、町村合併促進法に応じた昭和の大合併であります。
市制施行にあたっては、入院ベットを有する公立病院の設置という地域住民の強い願いがあり、羽島市の誕生につながりました。
木曽・長良の二大河川に抱かれ、濃尾平野の田園など、豊かな自然環境に恵まれた羽島市。
一方で、その歴史は「水との闘い」であり、古くから治水対策を繰り返してきました。
昭和30年代には、伊勢湾台風や第2室戸台風、集中豪雨などに見舞われ、平坦な地勢から湛水被害を受けました。
昭和51年には、長期間の大雨により対岸の安八町の長良川堤防が決壊した、9.12豪雨災害に遭遇しましたが、それ以降50年近く甚大な自然災害は発生しておりません。
愛知県の尾張西部地域、岐阜県の西濃地域は、古くから麻・絹・綿などの繊維業が盛んでした。
明治以降は毛織物の生産が増え、一宮市を核とする尾州産地としてその名が知られるようになりました。
羽島市は、尾州産地の一翼を担い、毛織物製造の町として活況を来してきました。
市中央の市街地を除く北部や南部地域では、広大な平地を活かし、都市近郊の稲作・畜産産地として発展を続けました。
大きな節目は、昭和40年代後半に訪れました。
土地利用を図り、将来の街づくりを見通す、都市計画区域と農業振興地域の線引きです。
市街化区域と市街化調整区域の設定に関する都市計画では、現況主義により用途地域を設定。
これに、農業振興地域をかぶせたため、その後の発展に繋がる将来展望を踏まえた構想にはつながりませんでした。
東海道新幹線岐阜羽島駅は田んぼの中の政治駅と揶揄され、名神高速道路岐阜羽島インターチェンジ周辺も、開発構想が何度もとん挫する状況が続きました。
時代は平成へと移り、岐阜羽島駅周辺エリアにおいては、複数の市施行による土地区画整理事業を行いました。
それらの事業効果により、平成20年代後半からは宅地化が進展して居住人口が増加し、市外からも若者が訪れる飲食店が多数立地してまいりました。
さらに、令和に入ると新幹線や大型観光バスを利用するインバウンドの宿泊需要も高まりました。
駅周辺ではビジネスホテルの建設や、既存施設のリニューアルも行われ、新たな街並が形成されています。
名神高速道路岐阜羽島インターチェンジ周辺では、大型の企業誘致が実現しました。
製造業・物流倉庫など、インターチェンジと親和性の高い産業の集積が進んだほか、職員の創意と工夫、熱い思いにより、人気の商業施設「コストコ」も進出。県外からも注目を集めるエリアへと変貌を遂げています。
「都市の中心・核」となる駅とインターチェンジ周辺で新たな人の流れが生まれたことにより、羽島市は大きく変わり始めています。
毎年公表される地価公示や基準地価では、住宅地・工業地の分野で、羽島市内の土地が県内の「価格上昇率」上位地点にランクインするなど、近年はまちづくりの成果が客観的な数字として表れてきました。
令和3年11月には市役所新庁舎を開庁しました。
それまで4つの庁舎で行ってきた行政手続きを1か所に統合。
防災拠点としても市民の皆様の命と暮らしをお守りするとともに、利用しやすい庁舎、効率的・機能的な庁舎、環境にやさしい庁舎を造りました。
正面入り口付近には総合窓口を設け、利用者の方々が「迷わない・歩かない・書かない」行政サービスを提供するだけでなく、1階市民ロビーと駐車場を一体的に活用したイベントも実施。
賑わい創出の拠点としても機能させることで、市民の皆様方に親しまれる、羽島市の新たなランドマークとして認知されるようになりました。
こうしたまちづくり施策の推進には、限られた財源を有効に活用していく取り組みが必要です。
羽島市は、令和元年に「財政の安定化対策」を打ち出し、実践的な予算編成と施策展開を行っています。
その他にも、包括外部監査や市民判定人による事業仕分け、歳出の見直しや受益者負担の適正化など、行財政改革に一丸となって取り組んでまいりました。
今後も、「財政論なくして政策なし」を理念として、バランスの取れた行政運営を心掛けるとともに、次代に繋げるまちづくりを進めてまいります。
羽島市最大の行政課題は「次期ごみ処理施設建設事業」でした。
当初の市内候補地での用地交渉が難航し、一部事務組合の構成市町となる岐阜市、笠松町、岐南町にも多大なるご心配をおかけしてきました。
この問題には、大きな進展がありました。
地元地権者のご協力もあり、建設用地が「福寿町平方地区」に決定。
羽島市も、都市計画の変更など、事務手続きを前倒して実施するなどの努力を重ねた結果、施設の整備スケジュールを短縮し、次期ごみ処理施設の稼働開始を令和9年4月とすることができました。
あらためて、福寿町平方の土地区画整理組合の皆様方に対し、万感の思いを込め、厚く感謝申し上げる次第であります。
現在、羽島市を含めた基礎自治体には、人口減少をはじめ、災害対策や社会資本の老朽化、GX・DXの更なる推進、誰もが暮らしやすい包摂社会の実現等への対応が求められています。
こうした多様化する課題に的確に対応し、持続可能な地域社会を形成していくためには、恵まれた交通利便性を活かした生活基盤の充実を図り、次代につながるひと・産業・まちを育む、「羽島市の形づくり」が必要であります。
今後とも、市民の皆様方との協調・協働によるまちづくり、ひとづくりを推し進めるため、的確な情報発信に努め、問題意識を共有しながら未来に向けて歩を進めてまいります。
キーワードは、学び習う「学習」から 学びを修める「学修」への進化、「記録」に基づく 正しい「記憶」の形成。
この2点による市政へのご理解が、健全なる羽島市の発展につながります。
10年先、20年先においても、市民としての誇り(シビックプライド)をお一人おひとりにお持ちいただき、共にふるさと羽島市のさらなる発展を目指してまいりましょう。
皆様方のご健勝とご多幸を心から祈念申し上げ、式辞とさせていただきます。
令和6年7月7日 羽島市長 松井聡
特別功労者表彰
小森博昭さん
地域役員等の要職を歴任し、地域づくりや伝統文化の継承に寄与するとともに、市内中学校のスポーツ部活動の地域移行に尽力されました。
髙木力さん
羽島商工会議所会頭等の要職を歴任し、平方第二土地区画整理組合理事長として次期ごみ処理施設の建設用地確保に尽力されました。
安田善治郎さん
日本ホッケー協会の要職を歴任し、国内ホッケーの競技力向上に尽力するとともに、その経験を活かして市のスポーツ振興に寄与されました。
青山馥さん・青山るみさん
奨学金の支援、学校図書の充実・憩いの場となる公園整備に関して、多年にわたる継続的かつ多額の寄付により、市の教育環境の向上等に寄与されました。
羽島市PR動画
羽島市非核平和都市宣言
恒久平和の実現は、人類共通の願いです。
しかし世界では、今もなお、繰り返される紛争によって尊い命が失われ、核兵器の存在が人類の未来に深刻な脅威と不安をもたらしています。
わが国は、世界で唯一の核兵器による戦争被爆国として、薄れつつある戦争の記憶を常に新たにし、惨禍の歴史から平和の尊さを汲み取っていかなければなりません。
先人たちの英知と不断の努力によって築かれた、美しい郷土と平和な暮らしを守り、後世に引き継いでいくことは、わたしたち羽島市民の使命です。
命と平和の大切さを深く認識し、核兵器の廃絶と戦争のない平和な世界の実現を誓い、ここに「非核平和都市」を宣言します。
配布資料