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愛 City はしま(市長のコラム) 第55回

[2018年10月1日]

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愛 City はしま(市長のコラム) 第55回

 広報はしまが、10月号で発刊700号となりました。今月号では、特集記事を1ページ、掲載しています。
 実は私、市職員当時の昭和56年から平成元年当初まで、8年余りにわたり広報係を務めていました。広報はしまの編集をはじめ、市をPRする各種ポスター・印刷物や、行政テレビ番組のシナリオ等の作成、マスコミに提供する行事取材を担当していました。休日を含めた仕事も多く、お盆や年末でも庁舎内でただ一人、深夜まで残業していたことが思い出されます。
 そんな繁忙な毎日でしたが、広報係の仕事にやりがいを感じ、充実した日々を送ることができました。特に、取材先での市民の皆さんとの触れ合いや、記者の方々との市政のみならず、世事万端にわたる意見交換は、私にとって貴重な経験になりました。
 一方、残念な思い出もあります。私が広報担当をしていた時代は、市政と市民の方々とをつなぐ情報媒体が限られていました。そのため、広報紙の持つ役割は、行政情報提供という「お知らせ広報」から、市民の方々との意見交換を行う「広聴分野」までを網羅することが、期待されていました。SNS隆盛の現代の活字離れ、紙離れといった風潮とは、隔世の感がある時代でした。
 各市町村では、より質の高い広報紙作りや、発行回数を月2回、あるいは3回に増やしたり、紙面をタブロイド版からA4版へ移行する試みが進められました。そんな中、当市でも広報はしまの発行回数を、月1回から2回にする気運が高まり、同計画を当時の自治委員会理事会にお諮りしました。市の考え方に対し、竹鼻町の小寺芳男理事さんから「広報紙の発行増は、透明性の高い市政推進に効果大である。ぜひとも実行してほしい」という発言があり、満場一致で翌年度からの月2回発行が実現しました。
 ところが、この月2回発行が、一部の方々から不評を買い、政争にまで発展しました。月2回発行反対の意見は、第一が、広報はしまを、そもそも読まない。第二が、月2回も広報を配ることが面倒だ、というものでした。常に、行政施策の的確な情報公開が求められる昨今の状況とはかけ離れた論議が、当時は行われたのです。その結果、当市の広報紙発行は、月1回に戻りました。
 過去の出来事を批判しているのではありません。しかし、市民の方々が、市政と活字媒体によって触れ合う機会を減らすような論議が、30年前になされたことは忘れません。
 その反省も踏まえながら、行政課題についての経緯や問題点、ご意見等に基づき定めた事柄を、広報はしまを中心として正確にお伝えする姿勢を、今後も続けてまいります! 

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