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愛 City はしま(市長のコラム) 第52回

[2018年7月1日]

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愛 City はしま(市長のコラム) 第52回

 古い話となりますが、私の長男は、小学校から硬式野球を始めました。小中学校で所属した団体は、日本少年野球連盟(通称・ボーイズリーグ)という、少年硬式野球組織でした。同連盟所属チームは、当時でも岐阜県に十数チームありました。春夏の全国大会、県大会、地域大会等が開催。全国的にもレベルの高い活動が、展開されていました。

 おかげさまで、長男は中学3年時には全日本選抜チームに選ばれ、アメリカのカリフォルニア州で開かれた世界大会に出場。エースがダルビッシュ有さん、4番バッターが長男というチームで、世界3位となりました。長男は世界大会前から、松井という姓のため、スポーツ新聞や野球雑誌等で「岐阜のゴジラ」と称され、ボーイズリーグの中では、名の通った存在でした。誤解のないように申し上げますが、これは昔の自慢話ではありません。

 中学3年時に至ってから、長男は試合で勝負をさせてもらえるケースが激減。全国大会でも、相手ピッチャーがフォアボールで良しとする、ボール攻めをしてきました。そんな中、鮮烈に覚えているのは、東海3県の優秀選手の選抜チームによる、中学卒業間近の大会での出来事でした。会場は長良川球場、対戦相手は愛知県西部選抜チーム。

 長男は、4打席連続デッドボールを喫しました。私は、バックネット裏から試合を注視しており、デッドボール以外にも、体を狙った投球の多さに憤りを覚えました。デッドボールを投じた、相手側チームのピッチャーは4人でした。そのうち、試合後に長男に会いに来たのは、現読売ジャイアンツ所属の森福允彦投手でした。

 彼は「僕は、わざとぶつけたのではない。松井君と勝負した球が当たってしまった」と、残念そうに話していました。彼の投球ぶりからも、話に偽りのないこと、そして毅然とした態度にスポーツマンらしさを感じました。相手方監督は、試合後、こちらのベンチを訪れ、薄笑いを浮かべながら「申し訳ありませんでした」と謝罪しました。しかし、その態度からは、誠意を感ずることはできませんでした。後日、試合結果を報道した連盟機関紙でも、長男の連続デッドボールはニュースとして紹介されました。

 どこかで、聴いたような話です。選手にとって、監督の指示は「神の声」。従わざるを得ないことがほとんどです。長男は、次の試合にサポーターを付けて出場しましたが、当たり所によっては大けがに至ったかもしれません。こんな風潮が、いまだに日本のスポーツ界から払しょくされていないことに、残念な思いが募ります。

 スポーツ団体のルールとマナーの厳格化の徹底。そして、人格・識見・指導力等を合わせ持っている指導者資格認定制度の確立を、強く望みます。

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