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ふるさと歴史散歩 09 「奥方の悲話を伝える三七松(さんしちまつ)の遺跡」

[2010年12月1日]

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奥方の悲話を伝える三七松(さんしちまつ)の遺跡

 天正12年(1584年)5月、羽柴(豊臣)秀吉が竹ヶ鼻城を水攻めにかかると、城内ではお殿様と奥方との夫婦離縁の酒宴が張られました。そこには夫の武運長久と息子たちの無事を祈り、また主君への忠義から援軍を出せなかった故郷の父のことを思い、小刻みに震え、固唾(かたず)をのんで堪え忍んでいる美しい奥方の姿がありました。離縁された奥方は、泣く泣く故郷の八神城に向かう途中、石田と八神の村境まで来ると「一度嫁いだ女が、どうして帰れましょう」と、短刀で自害されました。お供の三七は、奥方の亡骸(なきがら)を懇ろ(ねんごろ)に葬り、墓印に若松を植えました。
 この松は、やがて大木となり、枝を折れば生血がにじみ、触れても奇病にかかるという、奥方の戦国の世への怨念と無念を宿した松(大正8年枯死)になっていたそうです。下中町石田の三七の遺跡(市史跡)には、三七松を詠んだ句・歌碑や遺跡碑が建っています。(この話には、異説もあります。) (N)

三七松の遺跡

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