[2010年11月1日]
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ある雨のしとしと降る真夜中のこと、幕府方の役人が雇った暴漢たちが、どこからともなく集まってくると、せっかく築いた逆川の堤防を鍬(くわ)や鋤(すき)で壊してしまいました。この堤防を築いた薩摩藩の人たちは、この人為的妨害をした暴漢たちを追いつめて斬殺してしまいました。宝暦治水工事の一の手(いちのて)の工事区(羽島市を含む工事区)に携わっていた薩摩藩士の瀬戸山石助奉行、平山牧右衛門・大山市兵衛の両副奉行は、江吉良町江中の神宮(しんぐう)神社に参拝。そこで一夜を明かして決意を固めると、この責任や工事費超過の責任をとって、遠く離れた異国の地で割腹しました。
この話は、私たちの郷土の治水のために、幕命を受けた薩摩藩の人たちによって行われた宝暦治水工事の際の出来事だと伝えられています。
神宮神社には、宝暦治水工事の偉業を後世にも伝え、薩摩義士の霊を慰めるために、義士のふるさとの桜島の溶岩の巨石で建てられた「薩摩義士顕彰碑」(羽島ライオンズクラブ建立)があります。(N)