[2010年4月1日]
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平安時代中期のこと、愛娘を大ムカデに奪われようとしていた竜神は、瀬田の唐橋(滋賀県)で東国の武将俵藤太(たわらのとうた・藤原秀郷)に、ムカデの退治を頼みました。俵藤太は、三上山(近江富士)を7回り半も巻くほどの大ムカデを矢で射止め、竜神から思いのままに食べ物の出る鍋や米の尽きない米俵、赤銅の釣鐘など10個の宝物が贈られました。
こんな武勇伝も伝わる俵藤太は、関東で平将門が反乱を起こした承平・天慶の乱のとき、平貞盛と力を合わせて将門を討ち取りました。討ち取った将門の首は、京都で首実検が行われることになりました。俵藤太は将門の首を携えて護送中、下中町市之枝の櫟江(いちえ)天神(櫟江神社)に参籠し、将門平定の祈願成就と将門の首の無事安着を祈願した記念にと、自らの矢尻で自然石に「田原藤太朝臣(たわらのとうたあそん)」と刻んだ鏃石(市文化財)を残しました。この鏃石は、櫟江神社の参道の傍らに安置されており、見学することができます。(N)